史跡
太宰府近郊の史跡をご紹介します。
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玄昉の墓
観世音寺の北西に玄昉(げんぼう)の墓と伝えられる宝篋印塔(ほうきょういんとう)がある。玄昉は奈良時代の僧。学問僧とし…
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武藤資頼・資能の墓
五輪塔が武藤資頼の墓、宝篋印塔(ほうきょういんとう)が息子資能の墓と伝えられる。武藤資頼は鎌倉時代の武将で、大宰小弐…
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客館跡
奈良時代から平安時代初頭に外国使節が滞在した館。ここでのもてなしを示す、日本、唐、新羅の最高級の食器が出土した。日本…
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原八坊跡
原八坊は正式には原山無量寺という寺で、平安時代に天台宗の智証大師円珍と8人の弟子たちが開いたと伝えられる。足利尊氏が九…
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学校院跡
「府学校」と呼ばれ、郡司の子弟など200人以上の学生が学んだ。この跡地から「塼(せん)」(タイル様のもの)が発見された。
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九州国立博物館
東京、京都、奈良に次ぐ4番目の国立博物館として、2005(平成17)年10月16日に開館。愛称は「九博(きゅーはく)」。「日本文化の…
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大宰府政庁跡
7世紀後半、大和朝廷は那津官家(なのつのみやけ)をここに移し、奈良・平安時代を通して九州を治め、我が国の西の守り(防衛…
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筑前国分寺跡
奈良時代、聖武(しょうむ)天皇の勅命により全国に建てられた国分寺のひとつ。筑前国分寺は九州各国の国分寺の中心であった。
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国分瓦窯跡
側壁、天井部に日干し煉瓦を用いた登り窯で、8世紀中ごろの窯とみられる。ここで大宰府政庁の瓦や筑前国分寺の創建瓦が焼かれ…
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水城跡
663年の白村江(はくそんこう・はくすきのえ)の戦いに敗れた後、唐・新羅からの攻撃に備え築かれた防衛施設(人工の土塁)。…
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苅萱の関跡
大宰府の出入口にあたり、平安~戦国時代にかけて、関所が置かれていたといわれる。「苅萱道心と石童丸」の伝説でも有名。
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大野城跡
665年、朝鮮の山城を手本に自然地形を生かし築造された古代山城。国の特別史跡。山頂は全長8kmにわたり土塁や石垣で囲まれ、…
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岩屋城跡
四王寺山の中腹に築かれた戦国期の山城跡。太宰府支配の重要拠点として築城され、周防長門の大内家、豊後の大友家の家臣が城…
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陣ノ尾一号墳
6世紀後半に作られた直径約12mの円墳。全長6.6mの横穴式石室で馬具や耳環などが出土している。
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二日市温泉
温泉の起源は8世紀にさかのぼり、古くは次田温泉(すいたのゆ)と呼ばれた。大伴旅人をはじめ、大宰府の役人や僧たちも、この…
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弘法水
榎の大樹の下に清水が湧き出ている池がある。この池について『筑前国続風土記拾遺』に「池の周りに観音菩薩と弘法大師の石像…
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横岳崇福寺跡
大宰府にあった横岳山(おうがくざん)崇福寺は、通称『横岳(よこだけ)崇福寺』と称し、博多に再建された崇福寺の別院となっ…
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