五輪塔が武藤資頼の墓、宝篋印塔(ほうきょういんとう)が息子資能の墓と伝えられる。武藤資頼は鎌倉時代の武将で、大宰小弐を世襲したことから小弐姓を名乗る。資頼の墓、五輪塔は地・水・火の下の三輪しか残っていないが、各四方に蓮華座に坐った仏像が刻まれている。鎌倉時代中期の作と考えられる。(県指定有形文化財)