高橋紹運と家臣が壮絶な最期を遂げた合戦の地
四王寺山の中腹に築かれた戦国期の山城跡。太宰府支配の重要拠点として築城され、周防長門の大内家、豊後の大友家の家臣が城主となる。1586年九州制圧を目指す島津勢5万の大軍を相手に当時城主であった高橋紹運と760余名の家臣は篭城し、14日間の激戦の末、全員討死した。現在、本丸跡に石碑、二の丸跡に紹運と家臣の墓がある。ここからの眺めは抜群で、水城跡の様子などが良くわかる。
所在地 | 太宰府市大字太宰府 |
アクセス | 西鉄太宰府駅下車 徒歩約40分 |
お花情報 | 桜(3月下旬~4月初旬) |