太宰府ゆかりの人物 大伴旅人(おおとものたびと)

太宰府と言えば菅原道真公を思い浮かべる方が大半ではないでしょうか。太宰府にゆかりのある歴史上の人物は空海、最澄、足利尊氏、黒田如水、西郷隆盛など数多くいますが、今回は元号「令和」で注目を集めた大伴旅人についてご紹介します。


大伴旅人は奈良時代を代表する優れた歌人で役人。727年大宰府の長官「大宰帥(だざいのそち)」として63歳で妻と2人の息子と大宰府にやってきます。しかし翌年、最愛の妻を亡くします。深い悲しみの中にいる旅人を和歌で励ましたのは筑前守として赴任していた山上憶良でした。その後、旅人と憶良が中心となり「万葉集」に収められた数々の歌が大宰府滞在中に作られました。後に彼らは「万葉集筑紫歌壇(まんようしゅうつくしかだん)」と呼ばれ、太宰府市民遺産、日本遺産にも認定されています。太宰府市内各所には万葉集におさめられた歌を刻んだ万葉歌碑があります。

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730年、旅人は自宅の庭に大宰府や九州諸国の役人などを招き、梅の花を題材に歌を詠む「梅花の宴」を開きました。元号「令和」はこの時詠まれた32首の序文から引用されました。坂本八幡宮は「梅花の宴」が開かれた旅人邸宅跡の候補地のひとつと言われているため、今では令和ゆかりの神社として人気の観光スポットになっています。

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「梅花の宴」が開かれた年、旅人は都に戻り、翌731年67歳でその生涯を閉じます。旅人が太宰府で暮らしたのは2年半ほどの短い期間でしたが旅人の名前は今なお太宰府に息づいています。
そのひとつが元号「令和」をきっかけに生まれた令和発祥の都PRキャラクター「旅人(たびびと)のたびと」。他のキャラクターの「おとものタビット」、「れいわ姫」と共に太宰府市発行の印刷物などに使われ、マンホールにもデザインされています。

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また、多くの方が太宰府に来る際に利用する「太宰府観光列車 旅人」と「太宰府ライナーバス 旅人」。『たびびと』と思っていらっしゃる方も多いですが、これらも大伴旅人から名付けられ「たびと」と読みます。「旅人」は電車もバスも素敵なデザイン。旅気分を盛り上げてくれそうです。



約1300年前、大伴旅人が大宰府(太宰府)に暮らし、同じ風景を見たことを想像するとまた違った見方で旅を楽しめるかも知れませんね。

※歴史上の役所は大宰府、行政上の名は太宰府と書く事が慣用化されつつあります。